ルネサンス期の技術の復興

12世紀、ルネサンスの時代になると、中世のあいだ抑圧されていた人々の「美しさ」に対する願望が堰を切ったかのようにあふれ出し、技術は再び医学としての独立を回復します。イタリアのタリアコッツィにより形成外科の最初の教科書が執筆され、その中でたくさんの手術術式が発表されました。イタリア法と呼ばれる、鼻の形成に対して腕から皮膚を移植する手術法などは、今日の手術の中にもその発想と技術が受け継がれています。

戦争による形成外科術の発展

欧米では19世紀頃までに現代の美容整形の基礎となる手法が定着し、1845年には近代的整鼻術の始まりとされる手術法が行われました。そして20世紀に入ると、2度の世界大戦を経て、形成外科の技術は飛躍的な発展を遂げてゆきます。戦争が生んだ数多くの戦傷者の治療にあたり、彼らが社会復帰するために必要な身体の修復技術が求められたからです。戦争の惨禍が止むに止まれず産み落とした悲惨な技術ではありましたが、それらはやがて平和な時代が訪れたとき、美容整形のノウハウへと形を変えて転用されてゆくことになります。その後、欧米など先進諸国を中心に形成医学の技術が民間の医療機関へも広められてゆき、またそれに合わせて人々の美容に対する関心が高まり始め、双方がお互いを押し上げるような形で、美容整形の需要は一気に拡大します。1960年代に入ると、美容外科は形成外科から分離して、ようやく独自の地盤を獲得するようになりました。